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要約筆記にまつわる体験談 その2 - 聞こえに困っている方へ

Nさん
私が初めて「要約筆記」を知ったのは、今から16年前、奈良大学通信教育部のスクーリングの時だった。

高校卒業後、一浪して念願の有名私立大学に合格したが、難聴が進行していたこともあり、大学の授業についていけずに中退した。今なら、情報保障の合理的配慮を受けることができるであろうが、当時はノートテイクという言葉も知らず、「耳が遠い私には大学は無理だ」と簡単にあきらめてしまった。

25歳の時に6級の障害者手帳を取得した。大学を中退した後は、小さな会社ではあるが就職し、1年後に結婚して、曲がりなりにも仕事と家庭を両立させていた。しかし、聴力が低下して障害の等級も4級、3級、2級と進み、聞こえの低下に比例して何事に対しても乗り気になれない生活を送っていた。

ある日、「奈良で学ぶ贅沢」とキャッチコピーが書かれた奈良大学通信教育部の新聞広告が目に留まった。所定の単位を修得して卒業すると、学士(文学)の学位が取得できるとある。子どもに手がかからなくなったこともあり、自分に喝を入れてみることにした。親に高い学費を出させたのに中退してしまったことに対する申し訳なさが「心の滓」のように残っていたので、今度は自分でお金を出して必ず卒業すると決めた。問題はスクーリングだ。大学に聴覚障害者であることを伝え、ノートテイクをしてもらうにはどうすればいいのか相談した。しかし、「大学側として協力はできない。自分でノートテイクをお願いできる人を探して」と言われた。

インターネットで調べて、奈良の要約筆記サークルを見つけ、Oさんと連絡を取ることができた。要約筆記を依頼するには居住区の福祉課に行って申請すればいいと言われ、区の福祉課に申請したら認められた。後でわかったことだが、福祉課の担当者が間違えて処理したため派遣の申請が通ったらしい。
それはともかく、初めて要約筆記がついたのが浅田隆教授の「奈良文化論」だった。初めて受けたノートテイクは目から鱗だった。教授の話される内容が理解できるってなんてありがたいのだろう。大学の講義ってなんて奥が深いのだろう。学ぶことがこんなに楽しいなんて、初めての経験だった。
ノートテイクしたものは「通訳」だからあげることはできないと言われていたので、一字一句逃さないよう全部書き取った。一日の講義が終わると右腕が攣りそうなくらい痛み、翌日、ペンも持つのも億劫なほどだった。すると「どうせ全部写すのであれば、今回だけよ」とノートテイクしてもらったものをいただいた。大切に持ち帰って何度も読み直して復習した。スクーリング2日目、浅田教授が要約筆記の人が書きやすいように、投影するスライドの説明を書いたものをくださった。ありがたくて涙が出そうになった。

1回目のスクーリングは区のお金でノートテイクがついたが、2回目にまた申請に行ったら断られた。「学び」は「趣味」の範疇に入るので、通訳の派遣は認められないということだった。「学び」は認められないといっても、1回きりの講演会などには通訳を派遣してもらえることもあるので、長期かつ連続的な利用がだめなのだろう。しかたがない。インターネットで調べて、東京手話通訳等派遣センターに行った。派遣が認められない通訳は出せないとのこと。「全難聴」に相談に行った。事務局の人が丁寧に話を聞いてくれた。その後、Oさんからノートテイクをつけることができそうだと連絡をもらった。ただし、ノートテイクに来る人の交通費は出してほしいと言われた。その時は自分ことで頭がいっぱいで、奈良、和歌山、京都から来られる要約筆記者は手弁当のボランティアで来てくださっているとは夢にも思わなかった。

おかげさまで、奈良大学は4年で卒業することができた。当時、ノートテイクをしてくださった奈良、和歌山、京都の要約筆記者の方々には、本当にお世話になった。名前も住所もわからず、すっかり無沙汰してしまい申し訳なく思っている。またお会いできる機会があれば改めてお礼を言いたい。

こうした経験を経て、要約筆記を依頼し続けることが、恩返しというか聴覚障害者としての自身の果たすべき役割ではないかと考え、居住している東京で積極的に依頼するようにしている。現在は公私で1ケ月に8回は要約筆記のお世話になっている。
若い人の間では音声認識アプリが便利だとの声が広がっているが、私は要約筆記派である。「コンピュータ」は発せられた言葉以上の「機微」や「エッセンス」を文字に変換することはできないが、「人間」がまとめた要約の内容には、機械の翻訳とは違って「微妙なニュアンス」が織り込まれていることもあり、気持ちが優しくなれる時がある。また、漢検の1級に出てくるような漢字をさらっと書いたり、内容を下調べしたメモを作って持ち歩いたり、豊富な知識やプロとしての意識をもっておられる要約筆記者に会うこともある。リスペクト以外ない。こうした出会いもあるから、私も「成長」できているのだろうか。ありがたいことである。

2022~2023年要約筆記にまつわる体験談より

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