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このままの自分でいい - 聞こえに困っている方へ

・ある日、突然…

34歳の時、夫が他界した。

翌日から、耳閉感と耳鳴り、言葉が聞き取れなくなった。

音はわかるが、言葉として聞き取れない。高い声の人は聞き取りにくい。

精神的ショックのせい、今はそれどころじゃない状況だからそのうち治るかもと思っていた。

  

・苦労したこと

目の前の人と会話をしていて、聞き違いや聞き返しをするようになった。

何か聞かれたら、理解できなくても「うん」と返事して愛想笑いでごまかす。

相手の話を聞こえてないところは勝手に想像して、勝手に解釈してズレが生じる。

会話は自分がリードしても、質問があると返答がちぐはぐになる。

相手の口元や手の動きをじっと見て、ヒントを求めるようになった。

あの人、耳が聞こえないって、自分の知らないところで話が広まっていた。

自分から聞こえなくなったって言えないのに、他人から言われるとものすごく見下されたような気分になり、その場から消えたかった。

どうせ聞こえてないから、何を言っても無駄、いい加減なことばかり言ってと思われて、人格を拒否された気分になった。

自分の言葉一つに自信がなくなり、人と話をしたくなくなった。

精神的にきつい状況なのに、家族の前では笑顔で隠していた。子供にも両親にも話せなかったのは、悲しませたくなかったから。

聞こえなくなったことは、自分一人の胸にしまうことにした。家族の中で自分一人違う場所に隔離されたような気がした。

 

・えっ、障害者って…誰のこと?  

2ヵ月たってやっとの思いで受診した結果、重度感音性難聴で「もう治りません」と告知される。

心の準備もないまま、障害者手帳と補聴器の手続きを突きつけられる。

主治医から「これはあなたを守るもの」って、なんで障害者手帳なの?現実を受け入れられない、今後どうすればいいのか?

聴こえていた時の自分は、どこに行ってしまったのか?聴覚障害について本当のことを知るのが怖くて、全てシャットアウト。家族や友人にも隠して、聞こえているふりをしていた。

職場の上司には話したが、スタッフには自分から話すことができずずっと隠していた。

聴こえなくなった悩みを誰にも話せなくて、話せば自分がみじめになるから、ノートに書き出して気持ちを落ち着かせた。涙でにじんだノート、何冊書いただろう。

目配り、気配りで毎日ヘトヘト…なぜ、自分だけこんな思いして生きなきゃならないのか。

もう限界!すべて嫌になった。消えてなくなりたい。

 

・改めて生きようと思った  

思い切って長期の休暇をもらい、家族からも職場からも離れて、現実逃避したかった。

初めていった沖縄。大自然に癒されて、自分の悩みなんてちっぽけだと感じた。

そこで感じたことは、 聞こえないことで、これまでの人生をすべて拒否しなきゃいけない?

聞こえないことが自分を表す全ての人格じゃないはず!

自分にも堂々と生きる権利はあるはず!

聞こえないことで、消えてなくなりたいと思った自分が馬鹿らしくなった。

趣味のダイビングで沖縄に通うようになり、今の夫と出会った。なぜか、初めて自分から「聞こえない」と言える人に出会った。

言葉に出して初めて、聞こえない自分を認められるようになった。

「オレがあなたの耳になるよ。」とプロポーズされ、すべてをさらけ出して、第2の人生をスタートすることになった。

手話を習おうと思ったのは、この先、失聴するかもしれないと医師に言われ不安になったから。

手話ができれば、この先、聞こえなくなっても困らないんじゃないかと思った。

三田の会館で学んだことは、今の私にはとても大事なことだった。聞こえのサポートは、手話だけじゃないこと、筆談や読話もある。手話は声を出して話しながらしてもいいという事を学んだ。

聴こえないことをどのような工夫をするのか、難聴であることを自己開示できるか、

相手にサポートをお願いすることができるか、といったメンタル面がとても重要だと思った。

自分で難聴を受け入れて納得していなければ、なかなか前に進めない。

難聴の仲間と出会い、自分なりの考えもできて、前向きになっていった。

素直に心を開き、笑顔と涙を流して人間らしく生きられるようになった。

そして、もっと学びが必要だった。やっと現実を知ろうと思うようになった。

聴覚障害、情報保障、社会資源、障害者、福祉について…

今の自分が社会で生きていくために、学ぶことがたくさんあった。

自分の障害と向き合うことで、だんだんと聞こえない自分を受け入れられるようになった。 

 

・もう一度社会へ  

手話を学び、コミュニケーションを取り戻し、生きることに自信がついた私は、もう一度、社会に出て働こうと思った。

聞こえない現実を受け止められなかったことが、何年も大きな壁になっていた。

「壁」は簡単には乗り越えられなかった、惨めな気持ち、恥ずかしい気持ち、悔しい気持ち、聞こえていた時の自分と比べてしまう気持ち、そのようなものだったと気づいた。

それなら、「壁は」乗り越えなくていい、壊してしまえ!と思えるようになった。

障害者手帳について、主治医が言っていた、「これはあなたを守るもの」の意味がやっと分かった。

聞こえにくさを持っている証明であり、聞こえにくさのサポート受けるための大切なパスポートだと思った。聞こえなくなっても、胸張って堂々と生きていい!

できないことは、「取説」として周りにお願いできるようにしていこう。

 

今、私のマイブームは日本舞踊。始めて3年目になる。

音やリズム、歌詞を正確にとらえることに自信がないので、努力が必要。

団体で踊る時、曲のリズムや間の取り方が遅れ気味になってしまう。

今回、先生から聞こえない私なのに、リードを任せてもらえた。    

先輩方に、私の動きに合わせるようにと話をしてくれた。すごくうれしい配慮だった。

お稽古を何十回と重ねて、舞台発表ではミスすることもなく音にのることができた。

協会ニュース2023年6月号掲載記事より(未掲載部分も含めた全文)

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