人工内耳入門
慶応義塾大学医学部耳鼻咽喉科 水足 邦雄
はじめに
耳鼻科の臨床と人工内耳の外来を専門にやらせていただいています。今回は人工内耳についての入門講座ということなので、1時間で基本的な人工内耳の仕組みについてお話をいたします。難聴は、それぞれみんな程度が違って、困っている内容も人によってずいぶん違っています。私の話が終わってから、みなさんの難聴の状況に合わせて個別のご質問もお受けします。
さて、20世紀は、医学が驚異的な進歩を遂げました。では、20世紀の医療は何を目指していたのでしょう。心臓の病気や結核のような肺の病気の治療など、長く生きるための医療がどんどん進歩してきました。その結果として、平均寿命は伸びてきたわけです。ただ、単に長く生きるのではなく、より快適に生活ができるように、という考え方が今の医療には求められているのだと思っています。その意味で、人と音声でコミュニケーションすることは、快適な生活をする上で極めて大切な要素だと言えます。
これは余談ですが、皆さんヘレン・ケラーのこと、ご存知ですか?非常に有名な方ですね。彼女は2歳のときに、視力も聴力もまとめて一気に失ってしまっています。今でしたら、まさに人工内耳の良い適用対象になると思います。けれども、この時代に人工内耳は存在していません。人並みはずれた努力と非常に優秀な家庭教師のサポートがあって、彼女は社会生活を取り戻していきました。ヘレン・ケラーは、亡くなる数年前、何か一つ失った感覚のどれかを戻してもらえるとしたら何を戻してほしいですか、と質問されています。そこで、彼女は耳を聞こえるようにしてください、とおっしゃったそうです。私を抱きしめる母親の声を聞きたかった、と。これは、音が聞こえること、人の話が聞こえることがいかに大切なことなのかを端的にあらわす例だと思います。これは美談でよく聞くので、日本ヘレン・ケラー財団にちょっと確認の電話をしてみました。そしたら本当だそうです。
聴覚障害者の実態
では本題に入ります。日本における聞こえの悪い方、聴覚障害者の内訳です。平成13年の調査で、18歳以上の障害者数は300万人以上。そのうち、耳、聴覚、言語の障害者は35万人程度いるといわれています。その中で、70歳以上の方が半分以上を占めています。長く生きていけるようになったのですから、当然、聴覚障害者も高齢化しています。会場にお集まりの方の中でも、かなり高齢の方が多いように見受けられます。
この高齢者の難聴に関しては、今、大きな社会問題になっています。高齢になると、いわゆる認知症になる方もいらっしゃるわけですね。けれども、調べてみると、聞こえないがために認知症であると誤解されている方が多いのです。本来は、高齢の難聴者に対しては、その特性に合わせて適切な医療ができることが理想だと思います。
また、この難聴者の中で身体障害3級以上が、16万人近くいるという結果になっています。この方たちは、補聴器を使っても普通の会話をすることが、困難なレベルです。これは平成13年のデータですので、今はもっと数が増えているだろうと言われています。
生まれたときから全く聞こえていない聴覚障害児は1万5000人程度いると言われています。統計的には1000人の子どもの出生に対して1人の聴覚障害児が生まれるといわれています。出生率自体は下がっていますけれども、必ず毎年、何百人かの難聴児が生まれている計算になります。
耳の仕組みと難聴
人工内耳を理解する上では、難聴についての知識や理解が必要になります。ですから、まず、難聴についてのお話をします。その後、人工内耳の仕組み、手術について、適用についてなどのお話をさせていただきます。それから、手術後のリハビリのお話。最後に将来的なお話も加えて話したいと思っています。
まずは、耳はどのように音を伝えるかについてです。耳の穴から音は入ってきます。耳の穴の突き当たりに鼓膜があります。鼓膜にぶつかった音の情報は振動により、中にある小さな骨に伝わります。耳小骨(じしょうこつ)といって耳の小さな骨、と書きます。これは人間の体の中にある骨で一番小さい骨です。その骨からカタツムリのような形をした内耳という部分に情報が伝えられていきます。音の振動が内耳に伝わると、カタツムリの中にある神経が活動して、脳に音の情報を伝えます。だから、音を感じているのは脳ということになります。
音を感じるのに一番大切なセンサーの役目をしているのが内耳という部分です。蝸牛の「蝸」というのはカタツムリという意味です。このようにぐるぐると渦を巻いた組織が耳の奥の骨の中に入っています。人間の蝸牛は2回転半しています。その中は小さな部屋が3つに分かれています。その3つに分かれた部屋の一番真ん中にセンサーの役目をする組織が入っています。コルチ器といいます。ここには毛の生えた細胞がたくさん入っています。有毛細胞(ゆうもうさいぼう)といいます。全部で1万5000個、これが音を感じるセンサーの役目をしています。正常な有毛細胞は、音を電気の信号に変換し、神経の働きとして音を脳に伝えてくれます。
ここにいらっしゃる方の多くは、感音難聴の方だと思います。音を電気の信号に変えるセンサーが壊れて、電気信号への変換ができなくなっています。耳に音は入ってきているのに、神経が働かない状態です。音を感じることができなくなってしまったという意味で感音難聴といいます。
感音難聴の原因として有名なのがストマイによるものでしょう。結核の治療で使うストレプトマイシンというのは、耳の中の、特に有毛細胞に障害を起こすことが知られています。こういうお薬のせいで難聴になってしまう場合もあります。
突発性難聴。これも非常に多い病気です。未だに原因が分かっていない、非常に難しい病気です。治療の方法もありますが、残念ながら今の段階では、すべての方の突発性難聴は治せません。突発性難聴の後に、難聴が残ってしまう方もたくさんいらっしゃいます。、
感音難聴は、音を変換してくれるセンサーの故障、つまり、内耳の故障ですから内耳性難聴という言い方もします。このような難聴の対応策は、残念ながら少ないですね。音を大きくして足りない分を補ってあげるという補聴器が、一番一般的に行われている治療になります。ただ、補聴器の働きも耳の中の状態によって限界が生まれます。補聴器が効果の出ないような難聴に対しては、今の時点では人工内耳という治療しかないといえます。
人工内耳という方法と構造
人工内耳という方法では、内耳の中に電極を入れます。先ほども言いましたように、音は有毛細胞によって電気の信号に変換されます。けれども、音の振動では神経が刺激できない、それによる電気を起こせないのだから、初めから電気を入れてしまえば聞こえるだろうというという、非常に乱暴といえば乱暴な話なんです。人間の人工臓器もたくさんあります。例えば心臓とか関節だとか。そのなかで、感覚にまつわるもので唯一成功している人工臓器がこの人工内耳です。目の見えない人に人工網膜という技術が研究されていますけれども、ほとんど使い物にならないです。目の構造は耳の構造よりも複雑な部分があって、うまくいかないのです。
さて、人工内耳と補聴器は、同じ聞こえを取り戻す道具ですが、何が違うのでしょう。補聴器は、外から入ってくる音を大きくして、鼓膜、耳小骨、内耳という、普通に音が入ってくる経路で音を伝えます。人工内耳は、機械が直接を神経に電気を流していきます。有毛細胞が壊れている場合にも、壊れた場所を通過させないで直接神経を刺激することができるのです。補聴器は、有毛細胞がある程度生き残っていてくれないと効果がありません。ですが、人工内耳はこの有毛細胞を通過させずに脳に音の情報を届けてあげることができますので、補聴器の効果がない難聴にも有効な道具です。このことが、補聴器がだめな場合に人工内耳を考えるといわれる理由です。
内耳性の難聴というのを実際の病気の写真でお見せしましょう。これが内耳を縦に割った写真です。私が実験で使っているネズミの耳です。ここにコルチ器があります。ドブネズミの耳は人間と同じで2回転半回っています。ここにコルチ器があります。拡大すると、コルチ器には4列の有毛細胞が並んでいます。毛が生えているので有毛細胞といいます。こちらが病気になったネズミの耳のコルチ器です。有毛細胞がなくなっています。これは耳に毒性のある薬を直接入れて観察したもので、このネズミは聞こえません。ここにつぶれて変形した有毛細胞があります。こうなると音を感じることができません。ここに音が入ってきても電気が起こらなくなってしまうのです。こういう状態が感音難聴、内耳性難聴と言われています。
人工内耳を使うとどうなるか。人工内耳の電極から出た電気は、らせん神経節を直接刺激します。より脳に近い神経を電極が刺激してくれるので、脳に音の情報が届くわけです。内耳性難聴、感音性難聴の方で補聴器の効果がない方でも音を感じることができるようになる、というのが人工内耳の理屈です。
大まかな人工内耳の構造についてお話します。スピーチプロセッサ。これは、補聴器のように耳に掛けることもできますし、箱型になっていてポケットに入れておくこともできます。外から入ってきた音は、頭にくっつけたコイルから機械を通して電磁波として中の機械に届けられ、中の電極を刺激します。電極が外から入ってきた音に対して反応するわけです。ここで音の情報を電気の情報に変換して神経に届けてあげるという構造になっています。耳に掛けるスピーチプロセッサの部分がコイルに繋がっていて、コイルに磁石がついていますから、頭にぺたっとくっつきます。頭の皮膚の内側に埋め込んだレシーバーの部分に電磁波が届けられて、電気の刺激を作ってさらに奥に入っていくという構造になっています。人工内耳はこのように耳に掛けているスピーチプロセッサの部分からコイル、コイルからレシーバー、レシーバーから内耳、と電気を送っていく仕組みです。
人工内耳と補聴器
次に、人工内耳と補聴器いの違いについて、一つの例をあげてお話しします。
オージオグラムです。聴力検査の結果では、この横軸の数が音の高さを表します。左に行くほどブーンという低い音、右に行くほどキーンという高い音です。縦軸の数は音の大きさです。上に行くほど小さな音、下に行くほど大きな音ということです。この○というのは補聴器も人工内耳もしてないときの耳の聞こえです。この方の場合、低い音は90というところで○がついています。90というのは叫び声のような大きな音なんですね。ですから、この方は、自分の耳だけではほとんど外からの音が聞こえない状態です。高いほうにいくと、どんどん悪くなっていくのです。110とか120という数字では反応があります。ジェット機の飛んでいる音というのが110dB、それから大きな太鼓を耳元でたたいた時が110dBくらい。相当大きな音です。この方はそれくらいの音じゃないと分からないということです。この方が補聴器を使ったときの聞こえの状態が、この△(さんかく)で書いてあるところです。補聴器によって、かなり線が上がってきています。この方は重い難聴ですけれども、頑張って50くらい、高い音になると90くらいにはなります。高い音を補聴器で入れてあげるのは、特に高度難聴の方にはすごく難しいのです。この方は、犬がワンワンと鳴いていたり、ピアノの音を近くで聞けば何とか聞こえる。けれども、人の会話でのことばの音はどうかというと、こちらをご覧下さい。
これは、会話を構成する音の要素を聞くために必要な範囲を線で描いて、この聴力検査の絵に重ねたものです。バナナのような形をしているので私たちは「スピーチバナナ」と言っています。このバナナの部分が聞こえていれば、必要な音の情報をことばとして聞き取れるという目安に使うものです。この△の部分は補聴器をして聞き取れる部分ですが、残念ながら、このバナナよりほとんど下になっています。つまり、この方は補聴器をしていても会話に必要なことばの要素は補聴器では拾えてない、ということになります。
この方が人工内耳をしてからの検査の結果が、黒の▲で書いてある部分です。きれいに横一線になっているのが分かると思います。この横一線は、スピーチバナナよりほとんど上の線になっています。つまり、会話を聞き取るのに必要なことばの要素が人工内耳を使うことによって脳に届くようになります。補聴器のときよりも人工内耳の方が、圧倒的にことばが理解できるようになるケースです。もちろん、すべての難聴の方がこのようになるわけではありません。人工内耳によってことばの聞き取りがよくなる方がいらっしゃるという一つの例です。
これが人工内耳を受けた方の、ことばの聞き取りの結果の平均値です。平均値ですから、この結果よりもよい方もいれば、悪い方もいます。すべての方がこうなるというわけではないので、そこは間違えないで下さい。手術をする前の検査で、口形も見えない状態でスピーカから出た文章をききます。、手術を受けられるような方は、この検査での聞こえの成績が、非常に悪いわけです。手術を受けられる方の平均値でいうと10%ぐらいです。この方々が手術を受けられて音を入れて二週間後、60%の言葉、文章が理解できるようになっています。一ヶ月、三ヶ月と経つと、リハビリの効果も出てきますので、聞き取りの結果がどんどんよくなっていきます。
人工内耳を受けられて半年から一年ぐらいで聞こえが安定してきますが、文章の聞き取りに関しては、口形を見ないで検査した平均値として、80~90%。今の機械では、それぐらいの成績になっています。でも、すべての方がこうなるというわけではないです。人工内耳をしてもうまくいかないだろうと予測のたつ方もいます。そういう方にはあまり強く手術をおすすめしませんから、この成績のなかには入ってきていません。手術の成績が期待できる方に手術をすればこのぐらいの成績は期待できるということです。
人工内耳装用者の実態
日本では1985年に東京医大で初めて手術が行われました。それ以来、手術の件数は増えています。年間に400~500件ぐらいの手術が全国で行われています。大人の方が半分くらい、生まれたときに全く聞こえてないようなお子さんに対する手術が半分くらいです。総数でいうと、5000人くらいの方が日本では手術を受けられています。
手術は何歳まで大丈夫なんですかとよく聞かれます。手術を受ける年代では、生まれてすぐから、3歳ぐらいの方に一つピークがあります。もう一つのピークが60代ですが、70代の方も結構多いです。70歳くらいの方は、「もう私、年だから無理でしょ」と言われますが、70歳を超えて手術をされる方も最近多くなってきております。90歳の方に手術をした例が1件あったと思います。それが日本の最高齢だと思います。大切なのは、その人がいかに言葉によるコミュニケーションを必要としているかということです。年齢はあまり重要な要素ではないということです。お年のことはあまり心配されなくてよいと、私は思います。
人工内耳を受けられた方の元病(げんびょう)、元の病気をまとめたものです。原因不明の難聴の方が半分です。このなかでも、年々聴力が悪くなっていくような方が、人工内耳の手術を受けられる方の中で一番多いです。突発性難聴とか髄膜炎などの病名のつくような病気が原因の方、ストマイのようなお薬が原因という方は、人工内耳をする方は非常に少ないです。原因もよく分からないのに聴力が悪くなる方というのは、将来どうなってしまうのだろうというに強い不安をもっているからだと思います。
人工内耳の手術を受けられる方は、原因の分からない難聴であり、将来への強い不安を持っているような状態ですので、ほとんどの人工内耳の施行施設では臨床心理士や、心理カウンセリングを行う態勢を併せ持っています。心理的なカウンセリングを受けていただくという流れができてきています。
一方、手術をした子供のケースでは、生まれてすぐ聞こえてないことが判明した子供が手術の6割を占めたそうです。これも原因がよく分かってない聴覚障害です。進行性のものも含めると、8割近くが原因が分からないということです。この場合は、不安を強く持つのは親御さんです。その親御さんに対する心理的なカウンセリングも一緒に進めるという形の施設が今増えてきています。
人工内耳手術について
大人の場合の人工内耳の手術基準を日本耳鼻咽喉科学会が、10年前に決めました。18歳以上の大人の場合の基準ですが、今でも私たちはこの基準を使っています。原則として両方の耳が90㏈を超える高度の難聴の方、かつ補聴器の効果がない方が人工内耳の適用ということになります。これは原則です。90㏈よりも悪い難聴の方でも、補聴器が有効であればその方には人工内耳をする必要がないといえます。逆に、90㏈以下の軽い難聴でも補聴器の効果が全くない場合には手術をするケースもかなりあります。
この基準の中に、「言葉の語音弁別成績、つまり言葉の聞き取りの検査の結果を参考にして慎重に判定しましょう」ということが書かれています。私たちが人工内耳の手術の適用を決める一番大きな指標はこの言葉の聞き取りの検査です。なかでも、補聴器を使った状態でどのくらい言葉を聞き取れているかというのが一番大切な要素になります。
次に禁忌(きんき)について説明します。禁忌とは、絶対に手術をしてはいけない人という意味です。人工内耳が入れられるスペースが無い人には手術をしてはいけません。例えば髄膜炎の方の場合、一定の確率で聞こえが悪くなってしまう合併症が出ることがあります。髄膜炎というのは厄介な病気で、内耳の中に骨が埋まってきてしまいます。そうすると、人工内耳の電極を入れようとしても骨があるので入りません。完全に骨に埋まってしまっているような場合には手術ができないということになります。ただ、髄膜炎でも、少し骨が入って狭くなっているが少し広げてあげれば入るかなという場合には、むしろ早い段階で手術をする方向になっています。髄膜炎による難聴は、治せる見込みが今の医学の水準では全くないのです。唯一の音を取り戻すチャンスが人工内耳なので、早い段階で手術をやるということになっています。
それから、生まれたときから聞こえない子の中には、内耳がない子がいます。この場合は残念ながら手術ができません。また、中耳炎があって耳だれがずっと出ているような場合には、その中耳炎を治してから人工内耳の手術をするという二段階の手術が必要になります。人工内耳の機械を耳だれのばい菌がある所に入れておくわけにはいきませんので。また、重い精神発達遅滞や重度の認知症があるような場合には、機械の取り扱いそのものが残念ながらできません。手術が難しいと言えます。
それと、手術には、ご本人、それからご家族に人工内耳に対する正しい理解と人工内耳を装用しようとする強い意欲が必要です。これが実は非常に大切です。これがないと絶対に人工内耳はうまくいきません。どんなに神経を刺激しても、やはり聞き取るのはご本人です。リハビリの時には周りの方の協力というのがなくてはならない要素です。
子供の場合、日本では1歳半からということになっています。アメリカやヨーロッパでは1歳以下で手術するケースが増えてきています。手術が早ければいいという結論はまだ完全な同意は得られていません。子供さんの場合は聴力の検査が難しいですね。大人のようにボタンを持ってもボタンを押してくれませんので。いろいろな検査を組み合わせて、どのくらい補聴器が有効なのかを、大人の場合よりも慎重に測りながら手術の適用を決めていきます。
今までの話で全く聞こえない方でも人工内耳をすればみんな聞こえるようになるんじゃないか、と思う方もあるでしょう。ただ、今の人工内耳にも限界があります。人工内耳の電極は、らせん神経節という神経そのものを刺激します。内耳の有毛細胞がだめな人でもある程度音がきちんと脳に届くというのが人工内耳の原理です。神経そのものに障害がでているような難聴の場合は難しいです。ある実験をしています。毒性の強い薬でネズミに耳全部を壊してしまうような作業をし、神経の数を減らして中をスカスカにします、そうすると、人工内耳を入れても、電気を受けとるところがなくなっているので、音が脳に届かない状態になってしまいます。神経そのものが腫瘍などで侵されてしまう病気の方々の場合も、一般的に人工内耳の効果が期待できないことになります。
さらに、失聴期間が非常に長くなってくると、はじめは有毛細胞の障害だったものが、神経の障害に進行してしまうので、人工内耳の効果が期待できないような例もあります。ただ、非常に長い失聴期間でも、神経が生きていてくれれば有効な例もたくさん報告があります。私も、失聴後20年以上たっている方に手術をした経験があります。事前に電気を耳に流す検査をして、神経が生きていることが確認できたので手術をしました。結果として、言葉を聞き取ることができるようになりました。ですから、一概に失聴期間が長いから手術ができないというわけではないです。
生まれたときから全く聞こえてなくて、そのまま大人になってしまった方。この場合は脳が音の情報を言葉として処理できなくなっています。大人になってから人工内耳をしても音は分かりますが、その入ってきた音を言葉として脳が理解することができません。ですから、言葉の聞き取りに関しては期待できません。ただ、車が近くを通るという危険予知は音が分かればできます。音が聞こえるという安心感も大きいです。人工内耳をすることで、受ける理的な影響も多分にありますので、言葉を聞き取るという目的以外の理由で手術をする例も時々あります。
手術と術後について
次に手術の説明をします。手術そのものはグロテスクなものです。頭を切っていきますので。耳の後ろ側の皮膚を切ります。昔は、すごく大きく切っていました。10年ぐらい前は頭半分髪の毛を剃っていました。今は、できるだけ体への負担を小さくするということで、縦一本だけを剃ります。アメリカやヨーロッパでは髪の毛を剃らないところも増えてきています。日本でも、最近剃らない施設が増えてきましたが、あんまり傷が小さいと手術がやりづらいです。私は耳の2cmぐらい後ろ側を切らせてもらっています。髪の毛はここだけ剃ります。髪の毛で隠れて剃ったことが分からない形にしています。耳の後ろを切ってから、耳の後ろの骨を削っていきます。内耳は骨の中にありますので、人工内耳の手術はほとんど骨を削る手術になります。耳の穴の後ろ側の骨をドリルで削っていく。耳の穴の奥の部分に穴を開けると、穴の向こう側に内耳がみえます。内耳の内側の空間です。この開けた穴から、専用の道具を使って電極を内耳の中にスルスル入れていきます。雑に扱うと電極が壊れてしまうので、そろりそろりと入れます。この手術は安全にでき、2時間~3時間ぐらいで終わる施設が多いようです。顔面神経の麻痺とか味覚の障害という合併症もまれにありますが、慣れた専門医であれば起こる頻度は極めて少なくなっています。めまいが手術後一時的に起きるんですが、これも必ず直ります。合併症としてのめまいは少ないと思います。
手術が終わればそれですぐに聞こえるのかというとそんなことはありません。聞こえの神経の状態は人によって違うんですね。難聴の経過が違うので、当然神経の状態も違うわけです。したがって、どのくらいの音を出すかという電気の量は、当然人によって違ってきます。人工内耳は埋め込んだ後に、その電気の量を調整しなくては使えません。この作業をマッピングといいます。
1番から22番まで並んでいる22個の電極のすべての調節をします。ギリギリ聞こえる一番小さい音の電流の量と、一番快適に聞こえる音の電流の量、これを22個すべてで決めていきます。非常に繊細で大変な作業です。人間の耳の聞こえの神経は、入口に近い、手前が高い音、奥に行くにしたがって低い音になるという形で並んでします。ピアノの鍵盤みたいに音の高さを担当しているキーが順番に並んでいる感じです。電流を出す電極の場所を音の高さに応じて変えてあげれば、そこの音の高さが理解できるという仕組みになっています。
手術まえにMRIの検査が受けられるように工夫がされています。それにより別の小さな手術が必要になったりすることもありますが、人工内耳の手術が受けられないわけではないので問題ありません。機械が汗に弱いという問題もありましたが、機械の進歩でずいぶんよくなってきています。騒音の中での聞き取りはやっぱり難しいですが、機械がよくなってきましたので、向上しています。ただ、まだまだ改善の余地はあると思います。
将来的な展望です。機械の性能がよくなっていけば、言葉の聞き取りの成績も上がってくると思います。世界中の研究者が、一生懸命に、この研究をやっています。それから、小型化の追求がありますね。ただ、あんまり小さいと、なくす人が出てくるだろうし、小さくしすぎるのもどうかなと私自身は思いますが。それから、補聴器と人工内耳の両方の機能を持った機械が、出てきています。、高い音を補うのは補聴器が苦手な部分なので、高い音の部分だけ人工内耳が音を入れて、低い音は補聴器の機能で聞くというもので、ハイブリッド人工内耳といいます。あと4、5年すると日本に入ってくると思います。今の人工内耳では体外装置であるスピーチプロセッサは外、インプラントは頭の中に入ってます。これをぜんぶ頭の中に入れてしまう研究もされていますが、電池はどうするかなどの問題があって、まだどうなるか分からない、ということです。
これがお話の最後です。東京都内で、人工内耳の手術をしている施設。私のいる慶應病院も入っています。どこも専門的なスタッフがいて、レベルの高い医療をやっています。人工内耳は、認可制になっているので、手術をやっていいと認可された以外の病院では人工内耳の手術をすることができません。都内で手術を受ける場合には、認可された施設になります。人工内耳をお考えの方のなかで、かかりつけの先生に見てもらっているなら、これまでの難聴の経緯を紹介状にまとめてもらってください。一から検査をやり直したりというのは大変ですので、紹介状があれば、受診する専門施設では助かります。その上で人工内耳の施行施設を受診してください。
受診では、十分に検査をやってください。先ほども言いましたとおり、補聴器を使った状態での言葉の聞き取りの状況を確認することが人工内耳の手術を決める一番大切な要素だと思います。専門的な検査をきちんと受けて、専門医と手術適応についてよく相談してください。医師に決めてもらうのではなくて、相談してください。困っているのは患者さんご自身で、何を改善すればよいのかは、その人にしか分かりません。これだけよくなる、という数字に表れた結果と、その方が困っていることが改善するかどうかはまったく別です。よく相談に乗ってくれる先生のもとで手術を受けてください。リストの中にある病院は、きちんとした専門医がいます。その先生たちと十分お話をしてください。
マッピングを担当する言語聴覚士というのは、非常に大切な役割を果たしています。手術の前には必ず、言語聴覚士に会うことになります。その時に、納得がいくまで話をしてください。話し合って、納得がいって、できるだけ不安のない状態で手術を受けるというようにするのが一番いいと思います。よく引き合いに出すのがガンの手術です。耳鼻科では、首から上のガンの手術をすることがあります。ガンの手術は、実施を考えているうちに進行して手遅れになることがあります。相談したり納得することはガンの手術でも大切ですが、時間との争いもあります。しかし、人工内耳の手術は、2、3ヶ月遅れても影響はないです。ごく一部を除けば、2、3ヶ月遅れても手術の成績は変わりませんので、納得がいくまで手術を延期していいのです。納得できたときに納得できる先生に手術をしてもらうというのがよいと思います。ではひとまずこれでお話は終わりにします。